あなたのランニングは自由であるか。
ランニングに対する意識からの介入について興味深いエピソードがあります。
あるスプリンターの過去
私が以前勤めていた会社の同僚の話です。彼はお昼休みにランニングをする仲間でした。かつてはマラソンをサブ4で完走するほどでしたが、50代に入り、膝の痛みのために大会への参加も諦める状態になりました。ジョギングレベルならば走れるのですが、スピードと距離を伸ばそうとすると痛みが出るのです。
私も歳を取るとそうなるものなのかと納得していましたが、あるとき、4スタンス理論を教えたのです。彼はBタイプでした。長い間、一緒に走っていましたので、間違いなくB2であると判定できていました。そのため、腕を下ろしたまま走って良いとアドバイスしたのです。そのとき彼の中で過去の経験と現在の状況が繋がったようでした。
彼は元々スプリンターでした。中学生のときに100mを11秒台で走っていました。高校に入学し、陸上部で最初に走ったとき、ストレートに入った後の伸びが素晴らしいと言われたそうです。その後に加えて、フォームを直したらもっと速くなると言われたのです。
当時は、マック法と呼ばれるドリルが最新のスプリント理論として持て囃されていた時期でした。腕振りや腿上げなどの練習はここから来ています。しかし、悲しいことにマック法は日本に輸入される段階で誤訳されていたのです。「脚は上げるのではなく、自然に上がる」と書かれていたのです。そもそもそのような間違いがある上、彼のコーチとなった人はAタイプの人でした。全くの善意で、腕を折りたたんで振るように指導したのです。
最初は100m走を志願していた彼でしたが、記録が振るわないため、400mに転向したのでした。100m走ほどにはフォームについて細かく言われないとしても、指導がなくなる訳ではありません。当時のレースでは、最後の100mに入ってスピードを上げるためにフォームを気にすると失速するということを繰り返していました。
そのうち、怪我をする様になり、高校でスプリントをやめてしまったのです。それからは社会人としてマラソンを嗜んでいましたが、加齢で徐々に故障する様になってきたと思っていたのです。
しかし、4スタンス理論を聞いて、彼は中学時代の自分の走り方を思い出しました。それまで、正しい走り方と教えられた、誤った走り方を意識から追い出し、自分の本来の走り方を信じることができたのです。それから、彼が言うには、膝の痛みから解放されて、走れるようになったそうです。そして、長距離走だけではなく、マスターズの400m走に出場するまでになったのです。
意識からの介入
ここまで、明らかに4スタンス理論の有用性が示されていますが、私がこの文章を書いている目的は、そこではありません。意識の中にある誤った情報が何十年もの間、人を拘束するということです。何かの外部からの契機が無ければ、一度受け入れてしまったら、書き換えられないのです。
その内容によって不利益がもたらされていたとしても、その内容自体は正しいという前提で、その後の事象が解釈されることすらあるのです。不利益を根拠として、その情報が間違っていることに気がつく可能性は開かれているにも関わらず、です。
その当時においては、それが唯一の正しい走り方と教えられ、毎日それを習得するべく努力を積み重ねてきたのだから、それを否定することは自己否定でもあるのです。そうして、自らが自らを縛ることにより、誤った情報が生き続けるのです。
ただ、逆に言えば、(正しいか誤っているかに関わらず)教育というものの有効性を示しています。教育とは人為的に選択した情報を意識に植え付けることです。その効果は数十年かそれ以上に続くのです。
かくいう私自身も誤った情報に縛られてきました。走るということは連続ジャンプである、というものです。一歩一歩跳躍することが走ることだと思っていたのです。そのモデルを自分の中で定めたのが、いつであるかは思い出せませんが、走っている人を見て、ジャンプしていると思っている人がほとんどではないでしょうか。いや、実際に、街中で走っている人のほとんどはジャンプしています。だから、そのモデルが作られたのはやむを得ないのかもしれません。そうやって、自分の意識の中にモデルができてしまうと、その中で、オリンピックの陸上競技を見ても、オリンピアンの走りの本質を見抜くことなどできません。そうして、誤ったモデルの上であれこれと努力をしてみるのですが、オリンピアンのように走れるようにはなりません。それを生まれ持った才能の差という理解で片づけることに慣れてしまうのです。言うまでもなく、遺伝的形質の差は多分にあると考えますが、それに全てを押し付けてしまい、誤ったモデルに気が付くことができません。
さらに私の場合は、4スタンス理論を学んだ段階で、人間の走り方は1つである、という情報が誤りであるということを知る、という経験をしました。このときに、大前提として受け入れている情報を疑うことの重要性を知ったつもりでいたのですが、私がしたことはA1タイプの身体の動かし方で地面を強く蹴ることでした。走ること=ジャンプすること、という等式を疑うことはできませんでした。
しかし、何かのきっかけで誤ったモデルを誤っていると認識できたなら、それを書き換えることはいつでも可能です。彼の場合は、特に、かつてのモデルに戻るだけでしたので、半年後にはマスターズの400m走で走ることができました。 私の方も、重力ランニングの端緒となる着想を得てから1年が経ちました。その間、実験と考察を繰り返しながら新しいモデルを構築してきました。今もそれは続いています。つまり、古いモデルを捨てたと思っても、部分的に残っているのです。それを発見して、さらに自由になっていくというプロセスを継続しています。
このように、自分が自然の帰結と思っているランニングフォームが、実際には、実に多くの誤った情報によって阻害されているということに気が付くべきです。少なくとも、そうであるという可能性を常に疑うことが必要でしょう。