世界記録を生んだ走りは重力ランニングを超えていた!

以下の書籍を読んで、2011年のベルリンマラソンで2時間03分38秒を記録して男子マラソンの世界新記録(当時)を樹立した、マカウ選手の走りに着目しました。

その中で、マカウ選手の着地が必ずしも身体重心の直下ではないことに気付きました。これまでのシミュレーション結果と比較すると、マカウ選手の走り方は異なっていることがわかりました。そこで、まず、その書籍に記載されていた情報をもとに、マカウ選手の走りにできるだけ近づけたシミュレーションを作成してみました。

  • 速度は1キロ3分弱
  • ストライドは1.8m
  • 接地時間は0.17秒
  • 滞空時間は0.15秒
  • 身体重心の上下動幅は7.5 cm

その結果を以下の表に示します。

身体の重心と接地点の上限値H:1.2 m
体重:60 ㎏
片脚の質量:10 ㎏
体重移動距離:0.03 m
平均の速度V:5.5 m/s
項目全体の仕事を最小化マカウ選手に近似変化率
速度の最大値Vmax / [m/s]5.675.72+1%
速度の最小値Vmin / [m/s]5.365.28-1%
オフセット / m-0.004-0.120N/A
ストライド / m1.8821.809-4%
サイクル / s0.3420.329-4%
ピッチ / [歩/min]175182+4%
接地時間 / s0.1210.170+40%
滞空時間 / s0.2210.160-28%
重心の高さの最大値hmax / m1.0250.924-10%
重心の高さの最小値hmin / m0.9160.851-7%
重心の上下動距離 / m0.1090.074-33%
W1の水平成分 / [kJ/km]84.6139.8+65%
W1の垂直成分 / [kJ/km]69.249.1-29%
重心の移動の仕事W1 / [kJ/km]153.8189.0+23%
脚の入替の仕事W2 / [kJ/km]77.094.3+22%
全体の仕事W / [kJ/km]230.8283.2+23%
最大の仕事率Pmax / kW1293212706-2%
最大の力Fmax / N91606796-26%

シミュレーション方法

共通の条件は次の通りです。平均速度Vは切の良いところで5.5 m/sとしました。1キロ3分2秒です。また、つま先着地ということで、体重移動の距離を短くし、0.03 mに固定しました。日本人よりも脚が長いことから、接地点と身体重心の距離の最大値Hを1.2 mとしました。両者とも全体の仕事Wを最小化しました。ただし、マカウ選手を近似したシミュレーションではオフセットを-0.12 mに手動で設定しました。これにより、おおよそマカウ選手の走りに近づいたので完了としました。

ここで予めお伝えしておきたいことは、接地点を前方にずらすというのは、シミュレーション結果を合わせこむために行ったことではありません。実際にマカウ選手が走っている映像でも、着地点は前方にずれており、着地の瞬間の地面反力が後方に傾いていることは、研究者の解析でも示されています。マカウ選手が身体重心より前に着地しているという事実は、私が言い出したことではなく、私はただ事実に基づいてシミュレーションパラメータを変更しただけです。ただし、オフセットの数値は私が決めました。

出典:https://www.youtube.com/watch?v=leTVLwEoHck

従来のシミュレーションとの比較

マカウ選手の走りを近似したシミュレーションを従来のシミュレーションと比較すると、最も大きく異なる点は接地時間と滞空時間の比率です。この比率が大きく変わりました。その結果、身体重心の上下動距離は約2/3に減少しました。滞空時間が短くなったためです。

次に、重心の移動の仕事W1の垂直成分と水平成分の比率です。垂直成分は-29%、水平成分は+65%になっています。後者の増加は、着地時にブレーキがかかるためです。増加分の半分は減速の仕事、残りの半分は減速を補うための加速の仕事です。これは、無駄な仕事であると言えます。その一方で、垂直成分が減少しています。滞空時間が短縮された結果、身体重心の上下動距離が減少したためです。こちらは、無駄な仕事の削減とも言えます。ただし、全体の仕事Wは+23%増加しているため、全体としては仕事が増えました。

身体重心の上下動距離が減少したことから、最大の仕事率Pmaxが減少するかと思いましたが、ほぼ変化はありませんでした。着地の瞬間、身体重心を垂直方向に受け止める仕事は減少しましたが、水平方向でブレーキがかかっているため、Pmaxの値には変化がありませんでした。それでも、着地の瞬間の力の最大値Fmaxは-26%と大きく減少しており、力の最大値が約4分の3に減少したことは、いくつかのメリットをもたらします。

疲労感の軽減

発揮する筋力の最大値が低下すれば、筋疲労は小さくなると考えられます。この点は容易に想像できますが、単純ではありません。なぜなら、全体の仕事Wは増加しているからです。もし仕事量が同じであれば、筋力の最大値が小さい方が有利ですが、今回の場合、最大の力が26%減少し、仕事量は23%増加しています。この数値だけでは有利か不利かを判断するのは難しいです。結局、それがそのランナーにとって有利か不利かを決めるのは、そのランナーの能力に依存するためです。

全体の仕事Wは全身で行われる仕事の合計です。これを単位時間で割り算したものが平均の仕事率ですから、全体の仕事Wは心肺能力に対する負荷として考えます。運動が筋力や心肺能力の上限に近づくに連れて、急激に疲労感は大きくなります。例えば、発揮する筋力の最大値が、その人の筋力の上限に近く、しかし、心肺能力に余裕があるのであれば、マカウ選手のような走りにシフトする(力の最大値Fmaxを低減する)ことで、疲労感を抑えることができます。一方で、筋力に余裕があるけれども、心肺機能に余裕がないのであれば、従来の重力ランニング(全体の仕事Wを最小化)のような走りをするのが良い、と考えます。

この話は、ストライド走法とピッチ走法の比較の再燃かと慄きましたが、今回の対象である2つの走り方に関して、ストライドとピッチは大きく変わっていません。変わっているのは、接地時間と滞空時間です。したがって、名付けるならば、「接地走法」と「滞空走法」とでも言うべきです。両者は一長一短であり、まるで、マカウ選手とゲブレシラシエ選手の比較のようにどちらが優れているかは一概に言えません。

足裏へのダメージの低減

着地時の衝撃が小さくなることで、足裏へのダメージも小さくなります。長距離を走った場合でも、足裏の皮膚が向けて痛みを感じる可能性は低くなると考えます。

筋肉の損傷の低減

着地時の運動が遠心性収縮であることから、筋疲労の大小に関わらず筋肉の損傷が引き起こされます。そのため、着地時に発揮する筋力が小さくなれば、この損傷が低減することを意味します。レース本番のパフォーマンス低下を避けるだけでなく、練習後の回復が早くなるため、練習量を増やすことにつながります。

まとめ

最も大きな違いは、接地時間が滞空時間よりも長い点でした。従来のシミュレーション方法では、約1/3が接地時間で、約2/3が滞空時間でしたが、1キロ3分未満の速度で走る中で、接地と滞空の時間が半々でないこと、しかも接地時間が長いことは意外でした。これをシミュレーションで再現しようとすると、着地の位置(オフセット)を前方(負の値)にずらす必要がありました。従来の検討でも示したように、着地位置を前方にずらすと着地の瞬間にブレーキがかかります。この点は書籍にも多く指摘されています。私も、シミュレーションの結果から、身体重心の直下で着地することが最適であると考えてきました。それにもかかわらず、世界記録を打ち立てたランナーがこの原則を破っているとは、どういうことでしょうか。ここに来て、マカウ選手という特大の反例を見つけたことになります。

私はこれまで重力ランニングと称して、全体の仕事Wの最小化を追求し、最も経済的なランニングフォームを実現できると考えていました。しかし、今回、マカウ選手の走りに関するデータを得た結果、全体の仕事Wの最小化が唯一の最適解ではないことがわかりました。私の感覚としても、全体の仕事Wを最小化した走りは、丁寧に着地しているものの、自分の理想よりも滞空時間が長すぎると感じていました。全体の仕事Wだけでなく、筋力の最大値Fについてもバランスを取りながら削減することが重要だという認識に至りました。

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