体内相対性理論:スプリンターが感じている時間の遅れ

為末大さんのYouTubeチャンネルに「蹴らない走り方」という動画がありましたので、観てみました。為末大さんの走りは言うまでもなくスプリントを指します。つまり、蹴らないスプリントについて話されていました。

為末さんは非常に頭の良い方で、走り方についても論理的に語ってくれます。聞いていると「自分の後ろ側で何をしても身体は前に進まない」と当然のように言い切っています。一方で、「踏んで力をもらうところまで、脚と身体の関係を見るとここまでですね」と、身体の直下を指し示します。「足が自分の身体の真下に来るまでが自分の走る速さを決めている」とも言っています。この一文は着地前に足を引き付けるということではなく、着地後のことを意味しています。世界陸上銅メダリストの語り口からは、あたかもそれが物理的真理であるかのように聞こえます。しかし、ランニングシミュレーションを組み立てている私にとっては、物理的にそうではないことは明らかです。身体の前方に足を着いて乗り込む動きは必ずブレーキになります。加速したければ、身体の後ろに足を着いた状態でなければなりません。為末さんの言っていることは物理的真理とはまるで逆です。

為末さんほど走りを自ら研究し、実際に結果を出してきた人が言っているのだから、その言葉は間違っていないと仮定してみました。とにかく、これは正しいと決めつけてみると、意外にも簡単に説明がつきました。なぜならば、以下の書籍『アスリートの科学』第5章において、既に触れられていた話題だったからです。

トム・テレツ氏の教えでは、スプリント時に「足部を真下に踏みつける」のです。すると、実際には足を前方から後方に運ぶ動きになります。第三者の視点からは、地面を後方に蹴っているように見える、あの動きです。その動きは、脳でイメージする「足部を真下に踏みつける」動きとはかけ離れています。トム・テレツ氏の教えと為末さんの言葉の共通点は、人がイメージする動きと実際に生じる動きには違いがあることです。両者の表現の差は、100m走と400m走の差ではないかと思います。

何が起きているのか

人は自分の走りを組み立てるとき、何のインプットを元に計算しているのでしょうか。例えば、直下に足を着こうとしているとき、何を参照して、足の位置を合わせこむのか、とも言い換えることができます。言うまでもなく、それは視覚情報でしょう。自分の足元を見て走っているわけではありませんが、前方を見たときに視界に入る地面の映像に対して足の位置を合わせていくわけです。

これが止まった状態であれば、身体の直下に足を着くのは簡単です。しかし、スプリント中では、足を前方に着こうと意図したとしても現実は直下になるのです。高速で前進していることが原因です。高速で前進している中では、視覚情報を得て、それを元にフィードバックをかけるという一連のプロセスの進行中にも、周囲の状況が変わっていきます。このプロセスにかかる時間は通常、考慮されません。しかし、光の速さは事実上無限大だとしても、網膜に光が到達してから全身の筋繊維の収縮が実現するまでには時間がかかります。網膜上の錐体細胞が光を受けてから信号を発火するまでの時間、視神経を信号が伝わる時間、脳細胞で映像を処理する時間、実行するべき動きを創造する時間、脳から筋肉へ指示が伝わる時間、筋肉が収縮を始めるまでの時間があります。神経伝達速度は60から70m毎秒とのことでした。これらを考慮すれば、プロセスにかかる時間を無視できないのは明らかです。このプロセス時間を考慮すると、直下に足を着こうとしても、実際には遅れてしまうのです。

これは、光速度不変の原理に基づいて時間の遅れが発生するという特殊相対性理論に似ています。人が暮らしている世界では、光は無限に速いと考えても問題ありません。しかし、実際には秒速30万kmという有限の速度です。ゆえに、光速に近い速度では時間の遅れが発生します。これが特殊相対性理論の主たる結論の1つです。

体内の情報伝達の速度が有限であることも、ウォーキングでは問題にならないでしょう。しかし、スプリントでは影響があります。高速で前進しているときのフィードバックプロセスへの遅れを特殊相対性理論に準えて「体内時間の遅れ」と呼ぶことにします。

スプリンターの理解

為末さんを初めとしたスプリンターは、経験的に「体内時間の遅れ」を知っています。遅れの存在を意識しているかどうかに関わらず、その遅れを相殺するべく身体の前方に乗り込むというフィードバックをかけるのです。そのときに、最もスムーズに走れるという結論を身体の感覚から導き出します。身体の感覚が唯一の基準ですから、それだけを信じて最適化するわけです。したがって、言語化した場合に、物理的に矛盾したことがあっても問題にしません。

一般人の理解

為末さんが身体の前方で乗り込むと言えば、そのまま信じるでしょう。物理的な整合性はそもそも頭にありません。一方で「体内時間の遅れ」についても理解していません。世界陸上のメダリストの教えは絶対です。ただ、世界陸上のメダリストと一般人では身体の性能が違いすぎます。「直下に着地する」と説明されればスムーズに着地できるところ、「前方に乗り込む」と言われて前方着地をしてブレーキをかけてしまうでしょう。

理系の人間の理解

「前方に乗り込む」と言われた時点で、物理的な矛盾に気が付いてしまいます。この矛盾が解消されない限り、為末さんの話を100%信じることはできません。為末さんのアドバイスをそのまま取り入れることはないでしょう。一方で、もちろん、為末さんの実績を信じるために、それを捨てることもできず、才能のある人の言葉は理解不能という状況が発生します。

まとめ

スプリンターは経験と身体感覚を頼りに、「体内時間の遅れ」を相殺しながら最適な走りを追求しています。一般人や理系の人間も「体内時間の遅れ」を前提にすれば、スプリンターの言葉を翻訳し、正しく理解することができます。

スプリンターにとっては、間違いなく「体内時間の遅れ」を補正しなければならない程度に「体内時間の遅れ」が影響することが確認されています。では、マラソンランナーはどうでしょうか。100m走では10m/sですが、マラソン(1キロ3分の速度)では5.56m/sです。400倍以上の距離を走ると言っても、速度は約55%にしかならないのですね。半分より速ければ、「体内時間の遅れ」は影響しそうです。エリートランナーならば距離を問わず「体内時間の遅れ」を補正しながら走っていると推定されます。私のような一般ランナーでも1キロ4分で走るのですから、当然に、エリートランナーと同じオーダーの速度で走っています。遅いと言っても、光と音のような桁違いの速度差ではありません。つまり、一般ランナーも、程度の差はあれど「体内時間の遅れ」の影響は受けているはずです。

また、「体内時間の遅れ」の存在を前提にすると、着地位置の議論も根本から変わってきます。自分はどこで着地しようとしているかと、実際にどこで着地しているかを異なる概念として扱うことになります。自分の感覚だけを話しているのであれば、身体の前方か直下かの議論はできないと考えます。

私のシミュレーションでは、オフセットというパラメータがあります。身体重心の直下に対して前後にどれだけ着地点がズレているかを表す値です。そもそも数cmで影響があるので、人間が制御するのは無理だと思っていましたが、「体内時間の遅れ」が存在するならば、完全に諦めが付きます。シミュレーションで得られる最適値と、脳でイメージする動きは根源的に異なるということが、ランニングの現場では常に知っておかなければならないことだと改めて認識しました。

2025年1月20日 追記

本日のランニングで「体内時間の遅れ」を考慮してみました。すなわち、今までよりも少し前方に着地することを自分に許したのです。許した、という表現を使ったのは、今まで私はシミュレーションの結果を受けて身体重心の直下に着地することを追求してきたからです。左足を直下に合わせると右足でブレーキをかけてしまい、右足を合わせると左足がブレーキになる、という状況でいつも調整を続けていたのでした。

そして、今日、少し前に着地してみると、少し楽に速度を維持できるようになりました。右足も左足もブレーキにならず、滑らかに着地できる感覚を得ました。この「少し楽」になる現象は知っていたのですが、自分のシミュレーションの結果では重心の直下が最適点であったため、頭の中では常に直下を目指して足を落としていました。身体の感覚を信じずに、論理で導いた結論を優先していたのです。

私はこのように論理的結論を優先する人間ですので、このような非効率を自ら知らずに生み出しているのです。重力ランニングの原理を体得するまでに30年かかりました。今日の発見も、劇的ではないですが、私にとっては明確な進歩となりました。「体内時間の遅れ」を組み込んだ、少し前方への着地によって、かつての自分の記録を目指します。

2025年1月26日 さらに追記

「体内時間の遅れ」を意識して、少し前方に着地することにも慣れてきました。そのように意識することで、着地が滑らかになるのは確かです。

それに加えてもう一つ着地に関して、以前から気が付いていたことがありました。それはベアフットシューズを履いていた頃、2023年8月に遡ります。ベアフットシューズを履くと、地面からの衝撃をはっきりと感じます。着地をより丁寧に行わなければ、痛くて走れません。そこで、足を地面に接するまで厳密にコントロールしようとしたのです。地面のある一点を目指して、足を後方へ引き付けつつ、地面に対する落下を吸収する。そのようにしていたら、また、ふくらはぎを傷めてしまったのです。そのときの自分の解釈は「地面のある一点を目指しているから、ほんのちょっとの狂いによって地面との衝突を起こしてしまう。」でした。この衝突を避けるため、地面に着地するまで足をコントロールすることは止め、地面から1 cm上空を目指すことにしたのです。1 cmなら自由落下しても大きな衝撃はありません。こうすることで、ケガをすることはなくなり、結果としてつくばマラソンを走ることができました。

本日、上記の体験を思い出しました。そこで、前方に着地に加えて、上方に着地するようにイメージしてみました。前方の(地面ではなく)空中の一点を目指して、乗り込むように身体に指示します。すると、着地の衝撃がさらに軽減されたのです。ドスンと落ちることなく、地面からの反力を受け取ることができる感覚です。この瞬間、上方に着地しようとすることも「体内時間の遅れ」を相殺することだと気が付きました。「体内時間の遅れ」が発生するのであれば、着地位置は前後のズレだけでなく、当然に上下のズレも発生します。したがって、目指す着地点は、前方の空中になるのです。身体に対してどれだけ前方で、地面からどれだけ上方であるかは、人に拠りますが、速度が大きくなるほど、より前方、より上方になる思います。速度が大きくなるほど、「体内時間の遅れ」の影響が大きくなるためです。

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