ランニングだけを練習すれば良いのでは?ウォーキングに取り組む意義
今朝、うちの息子が歩くときに膝を伸ばして着地していたので、その点を指摘したところ、「なぜ身体の使い方を四六時中意識しなければならないのか?」と返されました。私としては、何かを改善しようとするのであれば、それは常に意識するべきだと思っていたのですが、どうやらそうではないようです。そこで、改めてこの点について検討してみようと思います。
重力ランニングについては、これまで説明してきた通りですが、個別の手足の動かし方を直すというアプローチではありません。二足走行の原理を根本から問い直し、その結論をもとにランニングを再構築しているのです。この理論は、いわゆるランニングだけでなく、ウォーキングにも適用されます。二足走行と二足歩行を合わせた「二足移動」を包括しているのです。
二足で日常を過ごしている人々は、走っていなくても頻繁に二足で立ち、歩いています。しかし、歩いているときにそのことを意識している人はほとんどいません。基本的に、必要十分な速度で移動できていると考え、自分は歩くことができると認識しています。できるからこそ、改善の必要はないと感じ、ゆえに意識を向ける必要がないと自然に結論してしまうのです。
しかし、私は「そうではない」と言いたいのです。無意識で行っている歩き方には改善の余地があります。無意識のうちに歩いているため、膝を伸ばして着地しているような問題をそのままにして人生を歩んでしまうのです。
そして、歩き方に問題があるのを放置し、走りだけを改善できると考えるのが息子の主張です。成長が難しい人間の言いがちな言葉です。理論的には正論に聞こえるかもしれません。「自分の目的は走りを改善すること。走るときに意識すれば改善できる。走りと歩きには速度の違いがあるから、走りだけをトレーニングすればいい。」と。
しかし、歩きと走りは同じ原理に従っています。だからこそ、歩きを改善すれば走りも同じように改善されます。走りは歩きを高度化したものです。歩き方を改善せずに走りだけを改善するのは、理論的には可能かもしれませんが、非常に難しいと言えるでしょう。基礎を練習せずに応用だけを身に着けようとするようなものです。
また、歩きを改善しようとしない人が、走るときに本当に走りに意識を向けることができるかと問われれば、ほとんどの人がそれは無理だとわかるでしょう。人間は一貫した存在です。「簡単なことをおろそかにする人は、難しいこともおろそかにする。」というのは常に真実です。
以上の理由から、走りを改善したいのであれば、歩きを改善することは絶対に避けられません。歩きを改善するということは、日常生活の中で無意識に行っている行為に意識を向けることです。つまり、歩くことを常に意識しながら行うということです。これは確かに面倒に感じるかもしれません。しかし、改善したいのであれば、その面倒なことに取り組む覚悟を持たなければなりません。逆に言えば、必要なものは覚悟だけです。邪魔となる人も物もありません。後は、日常の中の無意識の行為を意識的に捉え、無意識の動作を書き換えるまで繰り返し練習するだけです。したがって、重力ウォーキングの練習メニューは特別に存在するわけではありません。日常生活の中で歩くときに、常に重力ウォーキングの練習として意識するのです。その意識すべきポイントについては、以下の記事に記載しています。