人は何故、筋肉走りに落ち込んでいくのか?
走りを自ら作り上げる過程において、私も含めて、何故、ほとんどの人は筋肉走りを採用してしまうのか、それが長年の疑問でした。これに対して答えてみようと思います。
- ランニングの速さを追求する際に多くの人が筋肉走りを選んでしまうのは努力感や振動、加速度を出力指標とするからである。特に初心者は力を入れれば速くなると考えてしまう。
- 最適な走りとは無駄な筋出力を省き、負荷を最小限にするアプローチである。近年は速度を測るデバイスの普及により筋肉走りの固定観念を打破しやすくなっている。
努力感を出力の指標としている
私自身、今でも速く走ろうとするとついつい筋肉に力が入ってしまいます。一方で、回復走だと思えば自然と力が抜けます。意識だけで重力ランニングに近くなるのです。周囲を見渡してみても、速さを求めてない人は地面を蹴らず、重力ランニングに近いのです。しかし、シリアスに走っている人は見るからに上下動があり、努力感が伝わってくるのです。一番理想的なのは、努力しないけれど速い、なのです。ところが、いつのまにか、速い=努力の等式を作り上げてしまっているのでは無いでしょうか。私も昭和の時代に生まれた人間ですから、その古き良き価値観を思い出します。真面目に取り組むことが強調されるあまり、適切な効率化さえも悪とされる観念はありました。それを引きずっているのです。その結果、競技志向のトレーニングにおいて、苦しみは当然とみなされ、必要以上に筋力を発揮することによる無駄を削ることが見落とされてきたのです。速さを求めることは苦しみと無関係ではありません。速度を大きくすれば、負荷は大きくなります。この関係は崩すことはできません。しかしながら、そもそもある速度において、どれだけの負荷が発生するかは決まっていません。ある速度において、負荷を最小限にすることが速く走ることにつながるのです。1キロ5分の速度で滑らかに走れる人がいるとしましょう。彼が1キロ4分を目指すと決めたとき、1キロ5分で走っているときよりも負荷が増すのはやむを得ないことです。しかし、上のように速度を大きくしようという意識が無駄な筋出力を引き起こし、必要のないノイズを発生させます。こうして、1キロ4分で走ることが必要以上に、苦しいことなります。
振動を出力の指標としている
自動車に乗っているときのことを考えてください。スピードが上がるほど、路面からの振動が大きくなります。人間が走るときも、同様です。スピードが上がるほど、脚が感じる衝撃は強くなります。この関係自体は正しいので、その結果、衝撃の強さをスピードの指標としてしまうのです。
加速度を出力の指標としている
新幹線が時速300キロメートルで、一定速度で進んでいるとき、乗客は加速度を感じません。一方で、自らの脚で、速度ゼロから20キロメートルまで加速しているときに、人間は加速度を感じます。加速度を感じているということは速度が大きくなっているということですから、それを速く走っているということと誤解しているのです。脚で地面を蹴れば、一瞬、強く加速します。その後、着地した際に減速します。そうしておいてから、次の一歩でまた地面を強く蹴ります。こうして、加速と減速を繰り返していると、加速の瞬間が繰り返し感じられるので、速くなっていると勘違いしているのです。
筋肉走り同士の比較では筋出力が大きい方が速い
誰しも最初は、ランニングの初心者です。ランニングの初心者は速く走る方法を知りません。初心者が速度を大きくしようとしたら何をするでしょうか。脚に力を入れて地面を蹴り、一歩を大きくするのです。そして、それは最初のうち、必ず奏功します。そうしたら、もっと力を入れればさらに速くなると思うのは自然です。さらには、それが結論となり、別の理論を考えることはなくなります。こう考えると、速く走ろうという意識が明確なほど、筋肉走りに落ち込んでいきそうです。
速度を感得することができない
間接的な理由ではありますが、もっとも本質的なことかもしれません。速く走ることが目標なのであれば、指標は速度であるべきです。それ以外にありません。ところが、人間は自分が今、1キロ何分で走っているのかを知ることができないのです。自分が歩いているのか、走っているのかは、景色の動きでわかります。しかし、1キロ4分なのか、1キロ3分50秒なのかは、その方法ではわかりません。距離の情報と時計が必要です。
もし、速度がわかっているなら、身体の感覚を指標にすることなどしません。その意味では、今はスマートフォンのアプリで速度をすぐに知ることができます。ただし、生まれたときからスマートフォンがある世代においても、人間が歩きと共に、走りを覚える時分にはスマートフォンで速度を測定するという概念は有していないと思われます。そうであれば、やはり、努力感、振動、加速度を指標にするのではないでしょうか。しかしながら、速度を知らせてくれるデバイスが容易に手に入るのであれば、速度を一定に保ちながら、身体の感じる負担の方を最小化していくというアプローチは十分に可能です。そのようにして、若い世代は、筋肉走りの固定観念を簡単に乗り越えてくるかもしれません。