ランナーのカラダのなか―運動生理学が教える弱点克服のヒント

藤井 直人 著

出典:https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784093115483

評価

項目スコア
重力ランニングとの親和性★★★☆☆ 3点
理論の完成度★★★☆☆ 3点
読み物としての面白さ★★★★☆ 4点

感想・見解

筑波大学の助教による著書であり、内容は必然的にアスリート向け、特にインテリアスリートを対象としたものとなっています。論文で検証された生理学的事実を紹介するスタイルで、自身の見解ではなく「生理学的にはこうである」という事実を項目ごとに淡々と解説しています。

そのため、市民ランナーが知る必要のない知識も多く含まれており、各論文の目的が競技力向上にあることから、市民ランナーへのアドバイスとしては不適切な部分も生じます。たとえば、生理学的には「90%の強度で行うのが最も効果的」とされますが、実験の対象は十分な回復力を持つ若者であり、仕事を持つ中年ランナーに同様の強度で実施すれば、怪我人が続出して実験が成立しないでしょう。むしろ、強度を抑える方が適切であるという結論が導かれるはずです。

弘山勉氏の著書もそうですが、暗黙のうちに「エリートランナーが対象」であることに注意が必要です。しかしながら、このような生理学的知見をわかりやすく解説した本を求める市民ランナーも一定数存在します。断片的な知見であっても、市民ランナー向けのノウハウの裏付けとなることがあります。

にこにこペースの生理学的意義

市民ランナー向けのマラソン指導では「にこにこペースを守る」、つまり無理をしないことが重要とされます。本書ではこの考え方に否定的です。確かに、にこにこペースで走っているようではアスリートとは言えません。2時間台前半で走るエリートランナーにとってはその通りでしょう。しかし、市民ランナーにとっては、少なくともサブスリーを達成するまでは鉄則とも言える考え方です。本書を読んで、改めて「にこにこペースの生理学的意義」を理解しました。

脂肪を中心にエネルギーを生み出す

酸素1Lあたりのエネルギー産生量は、脂肪で4.69kcal、糖で5.05kcalです。酸素摂取量を最大限に活用するなら糖の方が効率的ですが、LT値(乳酸閾値)付近の運動強度では脂肪が主要なエネルギー源となります。田中氏の「ランニングする前に読む本」に掲載された以下のグラフによれば、LT値を超えると脂肪の消費量が減少し、糖中心にシフトします。これは酸素供給の限界によって、より効率的な解糖系に移行するためです。

出典:田中宏暁『ランニングする前に読む本―最短で結果を出す科学的トレーニング』(講談社、2017年)p.143より図引用

筋収縮によって水素イオン濃度が増加し、それを下げるために呼吸数が増加します。この現象は、解糖系による乳酸生成が原因の一つであり、呼吸数の増加が始まる運動強度はほぼLT値と一致します。一般に、最大酸素摂取量の60〜80%の範囲にLT値があるとされますが、私は酸素供給が負荷のかかっている筋肉にとって足りなくなっている状態であり、解糖系へのシフトが起こると考えています。

この現象は、ランとバイクの比較で理解しやすくなります。ランニングでは心拍数140bpmは、にこにこペース(LT値)です。同じ140bpmの心拍数でも、バイクでは脚に負荷が集中し、酸素供給が局所的に限界に達します。心臓は全身を司るポンプであり、最も負荷のかかる部位に対して個別に血液を配分することはできません。その結果、脚の筋肉では酸素供給が限界となり、乳酸濃度が上昇します。

逆に、負荷を分散することで酸素供給の限界を回避できます。ランニングでも脚だけでなく上半身も使うことで、脚への負荷を軽減できます。実際、ランニング上級者ではLT値が最大酸素摂取量の90%に達することもあり、これは負荷分散の効果を示しています。

エネルギー補給のための血液確保

限界に近い速度で走ると、筋活動に血液が集中し、消化器への血流が不足します。つまり、走りながら補給ができなくなります。にこにこペースであれば、消化器にも血液が回るため、糖の吸収が可能になります。本書に掲載された以下のグラフでは、この血液配分の違いが明確に示されています。フルマラソンを走り切るには、レース中のエネルギー補給が必須です。糖を吸収するには、単に胃に入れるだけでは不十分であり、小腸に血液が回っていなければ柔毛からの吸収はできません。つまり、にこにこペースによる余力は、エネルギー補給の実効性に直結するのです。

出典:本書 p.127より図引用

結論:失速しないためのエネルギー戦略

以上の2点を統合すると、42.195kmを失速せずに走り切るためには、次のような戦略が必要です。

  • LT値で走ることで、脂肪を主たるエネルギー源とし、糖の消費を抑える。
  • その状態で糖の補給を行い、エネルギー切れを防ぐ。糖の吸収には消化器への血液供給が不可欠であり、それを確保するためにもLT値を超えない強度で走る必要がある。

このように、糖の節約と補給を両立させ、フルマラソンを失速せずに走り切るために、にこにこペースが必須なのです。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です