BORN TO RUN走るために生まれた―ウルトラランナーvs人類最強の“走る民族”
クリストファー マクドゥーガル 著 / 近藤 隆文 訳
出典:https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784140814147
評価
項目 | スコア |
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重力ランニングとの親和性 | ★★★★★ 5点 |
理論の完成度 | ★★★★☆ 4点 |
読み物としての面白さ | ★★★★★ 5点 |
感想・見解
この本は、ララムリとも呼ばれるタラウマラ族の存在を世に知らしめた本として私は認識していました。著者はスポーツライターですが、ランナーでもあります。短い距離を走るだけで足が痛む自分に比べて、タラウマラ族のランナーは何十kmを毎日のように走破しても、足を傷めません。タラウマラ族の耐久力の秘密は一体何であるのか、それに迫ろうとしたことは確かでしょう。
タラウマラ族は、メキシコの銅峡谷に隠れ住んでいるため、日常生活がトレイルランニングのトレーニングに他ならないのです。しかし、それだけなら、山の奥地で暮らしている人は皆、優秀なトレイルランナーになることでしょう。
タラウマラ族は、ララジパリという文化を持っています。木のボールをチームで蹴って進む長距離走だと私は理解しています。子供の頃からララジパリを嗜むことで自然と効率の良い走り方を身に着けるのです。
また、タラウマラ族は、ランニングシューズを履いていません。タイヤを切って作ったサンダルで走るのです。何のクッション機能もありませんが、足裏を保護してくれるのは確かです。さすがのタラウマラ族でも、銅峡谷の尖った岩場を走る際のリスクに対しては、文明を取り入れて足を保護するのです。つまり、彼らは全ての文化を毛嫌いしているのでもなく、自分たちの快適なスタイルを守っているに過ぎません。ランニングシューズのクッション機能は、むしろ不要で、足裏の感覚を研ぎ澄ましながら走れるサンダルの方が長く走れるのです。
ただし、そのようなトレイルランナーが読む専門雑誌に含まれるような話がこの本の本質ではないと私は感じました。この本が世界を席巻するようなヒット作となったのは、著者がタラウマラ族と共に走った経験を得たからです。記者として取材するだけでなく、彼はランナーとしてタラウマラ族と同じレースに参加し、50マイル完走を果たしました。
重度の故障を抱える西洋人のランナーが、タラウマラ族と出会うことにより、自分が現状を脱することができる希望を抱いたのです。その後、トレーニングを行い、上記レースを完走したのです。
その途上で、著者が見出したのが「人間は走るために生まれた」という説です。より正しくは「人間は長く走るために進化した」です。
私も、地上に住む哺乳類の中で人間だけ皮膚の大部分を露出しており、汗をかいて身体を冷却できるのは、何故なのかと考えていました。この特徴が、人間という種が繁栄するためにどのように働いたのか、肉食獣のように牙も爪もなく、草食獣のように俊足でもない人間がどのように生き残ってきたのか、を知りたいと思っていました。私が辿り着いた結論は、持久力の差により野生動物を追い詰める狩猟方法でした。
そして、その通りのこと(持久狩猟)をアフリカのブッシュマンが現在でも行うことを著者は確認しています。ただし、私が想定していたように単なる持久走よりも、高度な駆け引きでした。そのため、身体的な持久力だけではなく、知能的な持久力も要求されます。何故なら、獲物はハンターが近づくと走って逃げ、群れに紛れてしまいます。ハンターの方は狙いを付けた1頭だけを執拗に追い回し、体力を削り、オーバーヒートに追い込むのです。このために、その1頭に集中し、その1頭がどんな状態にあるのかを観察し続けなければならない一方で、自分自身がオーバーヒートしないように監視することが求められるのです。そうでなければ、オーバーヒートした人間は、サバンナにおいて肉食獣の恰好の餌になってしまうからです。この間、2時間から5時間と書かれています。ちょうどフルマラソンに相当する時間、集中し続けなければならないのです。
このようにして、人間は長く走り続けるだけの身体と頭を手に入れたことで、持久狩猟により狩猟の成功率の向上、すなわち、食料の安定供給を確保したのでした。
ところで、持久狩猟はチームで行います。先頭の人間が直接獲物を追いかけ、後続の人間は交代要員かつ、先頭の人間の監視を行うのです。本来、人間が人間と走るときは、先を争う競走をしているのではなく、獲物を狩猟するための協働だったのです。自分が先頭を走って、周りを置き去りにするのでは意味がないのです。
人間の走ることに対する意識は、競走ではなく、協働である。それが著者の結論です。タラウマラ族と同じレースに参加したことで、著者も、その境地に達し、タラウマラ族の秘密を理解したのです。ランニングを競走と捉えれば苦しくなります。しかし、協働と捉えれば苦しみが軽減されます。タラウマラ族にとってレースは共同体の絆を強めるものです。それは人類に共通であると気が付いたわけです。
結局、西洋社会においても、何故、人は走るのか、という疑問は未解決のまま残されています。ただ実際に、走る人が大勢いるという事実だけがあります。日本でも毎週のように各地でマラソン大会が開催されています。著者は、この疑問に対して、一定の解答を示し、ランニングを単なるゲームではなく、崇高な活動に引き上げたのです。
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