ChiRunning: A Revolutionary Approach to Effortless, Injury-Free Running
Danny Dreyer 著
評価
項目 | スコア |
---|---|
重力ランニングとの親和性 | ★★★★★ 5点 |
理論の完成度 | ★★★★☆ 4点 |
読み物としての面白さ | ★★★☆☆ 3点 |
感想・見解
チーランニングの本自体は本屋で開けてみたことがありました。それは以下の本です。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784469266450
今回は、翻訳前の原本(英語版)を読んでいます。
私がこのサイトで書こうとしていることの半分くらいは、この本で既に書かれています。
まず、目指している走り方は、重力ランニングと同一と言って良いでしょう。重力を利用し、筋力の発揮を最小限にすることで、長く、速く、ケガ無く走る。そして、今までのランニングに比べて、努力感が劇的に減る。この本の記述を読んで、私が感じたことと同じでした。身体の動かし方について、同じ結論にたどり着いた人がいるのだとわかり、自信を得ました。
もう1つ私が書きたいと思っていることが触れられています。ランニングは瞑想と同じであるということです。瞑想について、日本人であれば座禅を思い浮かべると思います。結跏趺坐の状態で呼吸に意識を集中する、という行為です。動きは全くありません。これとランニングが同じとは、どういう意味か、と思うことでしょう。端的に言えば、意識を身体の感覚に集中するという点で同じです。座禅であれば、1つ1つの呼吸の過程の全てをあるがままに観察します。ランニングであれば、1歩1歩の過程を、やはり、あるがままに観察するのです。チーランニングを学ぶ過程では、身体感覚の観察が必須です。足裏、ふくらはぎ、骨盤、腕、首、目線、ありとあらゆる部分の感覚を観察し、調整を重ねていくのです。
筋肉走り(本書の用語ではpower runnning)との対比によって、何ではないかを定義しています。そして、一定の考え方を元にトレーニングを積んでいけば、その走り方を実現できるという定義の仕方です。この本に書いてあるトレーニングによって、重力ランニングを実現することは十分に可能だと思います。しかし、行ったことのない場所へ辿り着こうとしている人たちに対するガイダンスとしては心許ない印象です。私の書こうとしている残りの半分がなければ、多くの人がドロップアウトしてしまうと考えます。そこには運動の習得における2つの壁があるためです。
身体感覚の伝達
従来のランニング本は、身体の感覚を言葉にして、ランニングメソッドを伝えようとします。あるいは、それに誤った物理的なイメージの解説が根拠として加えられます。この本でも、脚は振り子であると例えています。脚に力を入れなくても、脚は自然に前後に振れるものだという説明として使われるのですが、良く言って、先の説明をイメージする手段にすぎず、悪く言えば、誤った物理的な理解を生みます。
身体感覚の記述はどこまで行っても個人の感想であって、人から人へ伝えることはできません。例えば、「このランニングメソッドによれば、ずっと軽く走れるようになった」とある人が言ったとして、その人の「軽く」が自分にとっての「重く」でないとわかるでしょうか。わかりません。わからないけれども、信じてやってみる、しかないのです。ゆえに、やってみなければわからないし、やってもうまくいくかわかりません。その原因が、自分の理解不足にあるのか、そもそも「軽く」ということが誤解だったのか、それともそのメソッドが自分には合わないのか、がわからないのです。
今から20年も遡れば、上記の状況は深刻な問題でした。なぜならば、動画による情報伝達が、一般人には難しかったからです。今では、動画配信サイトで誰でも簡単に情報を得ることができます。チーランニングを言葉で表現されるより、動画で見れば、ずっとわかりやすくなります。自分自身の動画を撮影することも容易になりましたから、比較することもやろうと思えばすぐできます。ただ、それでも上記問題は解決されません。
桐生祥秀さんの100m走の動画を見れば、100mを10秒で走れるようになるわけではありません。それは当たり前です。何しろ、筋力が違いすぎます。確かにそうですが、筋力だけで100mを10秒で走れるようにはなりません。その領域での、スプリンターの身体感覚というものがあるわけです。それは一般人が知らないものですし、言葉でも、動画でも伝えることができないものです。それほどまでに身体感覚を伝えることは本質的にできないのです。
そこで、物理が登場するわけです。物理とは、物の理ですから、人間の感覚を離れて存在するものです。物理的解説とは個人の感覚に依存せず、普遍的なものです。つまり、物理を理性によって理解すれば、人は皆それを正しく理解することができるのです。その物理を実現するために、自らの身体を操作し、自分固有の身体感覚を構築していく。それが重力ランニングのアプローチです。
4スタンスの違い
この本でも、原理だけを示し、結局、自分自身で動きを試行錯誤していくことになっています。ただその原理の部分がやや細かくなりすぎているのが問題です。原理として示されている部分が、個人の個性の分まで踏み込んでいるため、人によっては非常にやりにくい、あるいは、故障してしまうことになります。4スタンス理論のタイプの違いを知らず、4スタンス理論で言うところのA2タイプの走りを原理として指定してしまっているのです。
例えば、手は必ず腰から上とか、脚は必ず進行方向に真っすぐ向けるとか、いう記述があります。首を伸ばすというのもあります。A2タイプ以外の非常に生真面目な人が、本書に示された通りに走っていたら、チーランニングは実現できないでしょう。その人の本来の動きとは違うため、緊張が生じてしまうからです。身体をリラックスして、重力に身をまかせるという前提が成立しません。
ランニングメソッドに限らず、運動の習得には、これら2つの壁が存在している訳です。前者に対しては物理的解説で対処できます。現に私は、自分の中で物理的な合理性が理解できたところで、ランニングが一気に改善しました。後者については廣戸聡一氏の一連の著書を参照すればわかることですので、運動の指導に関わる人は、正しい身体の使い方4つあることくらいは理解しておくべきだと思います。そのように見ていれば、各タイプの違いはおのずと理解できるようになります。
かなり批判しているような内容になりましたが、これまで読んだ本の中で最も重力ランニングに近い内容の本でした。上記2つの壁があることを認識していれば大変に有用な本です。
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